リスク化する日本社会――ウルリッヒ・ベックとの対話

リスク化する日本社会――ウルリッヒ・ベックとの対話

第一の近代において、家族――とくにタルコット・パーソンズの近代国民社会の機能主義的モデルがとらえ記述したように――国民社会の再生産の鍵となる単位であった。第二の近代において、社会秩序のこのような再生産が危険に晒されるか、あるいはなくなってしまっているのなら、日本の第二の近代における(そして東アジアの他の国々あるいはヨーロッパにおける)家族の「機能」とは何かという問題を、われわれは究明しなくてはならない。私の推察では、家族は、第一の近代において診断されたような機能喪失ではなく、機能拡大に直面している。然り、機能の過剰負担が際立っている。なかんずく企業の社会保障機能さえも今や家族へと移されている。これを「家族への回帰」であると診断する(そして祝福する)のは、構造的な個人化過程が実際進展しているのだから、あまりにもぞんざいなとらえ方だ。というのは、女性(妻)の学歴上昇や就業率増加によって、伝統的家族のなかの家父長的なヒエラルキーはぐらついているからだ。むしろ正しいのは、脱家族化と再家族化が同時に生じるというバラドックスである。(p30-31)