中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

 意外に聞こえるかもしれませんが、この満洲事変後の日本陸軍のやり口は、まず都市枢要部を制圧して国家の中核機構を掌握すれば、民衆は後からついてくるというレーニン型の革命戦術に似ています。フランス現代思想の刷新者となったドゥルーズ=ガタリが用いた比喩を借りれば、「国家装置」の争奪戦は「将棋」に似ている――王将や飛車角といったごく少数の、特定の有力なコマさえ押えておけば後は楽勝、という考え方ですね。
しかしドゥルーズ=ガタリが主張したのは、かような意味での国家装置が機能しているのはむしろ特殊な状況であり、多種多様な「戦争機械」が繰り広げる「碁」の勝負こそが人間社会の本来的モデルなのだ、という洞察でした(『千のプラトー』)。囲碁は将棋と違って、ひとつひとつのコマ自体には優劣はない。またどこか特定の地点に意味があるわけではなくて、一手ごとに絶えず形を変えていくコマ全体の配置のなかで、重要とされる勝負所はよそへよそへとどんどん動いていくわけですね。
そう、囲碁においては、「飛車角を握っているから強い」とか、「相手の王様をとったからもうゲームセット」ということは全然ない。場所を選ばず神出鬼没のゲリラ工作で民衆を組織して、結果的に農村で都市を包囲する毛沢東型の革命戦術でないと、戦争機械を制御することができない(……どちらが中国大陸で覇権を手にする道か、わざわざ繰り返す必要があるでしょうか)。
満洲ではうまくいったじゃないか」という気分が抜けないまま、満洲のようにたまたま江戸時代の日本と似ている地域でしか通用しない「将棋」型の戦略で中国大陸にまで手を出してしまった日本軍は、しだいに泥沼にはまっていきます。首都(王将)を落とせば降伏してくるはずだ、有力政治家(飛車角)を引きぬいて傀儡政権を作ればついてくるはずだ、囲碁を将棋と勘違いしたままゲームをプレイし続けるこの発想が行きついた悲劇が、南京事件(1937)であり重慶爆撃(1938〜1943)です。(p198-200)