生き方と哲学

生き方と哲学

論理哲学論考』の沈黙律は、大切なものについて語ることを「語りえぬことについて語る無意味な行為」とすることにより、沈黙が一つの倫理的次元を持つ一つの選択であるという事実を覆い隠す。すなわち沈黙するとは、それについて語りうるが、語ることによりその価値を減ずるよりは、あえて沈黙を守るという倫理的行為なのであるにもかかわらず、『論理哲学論考』はあたかもそれが客観的諸前提から論理的に導出される必然的事象であるかのように我々に考えさせる。『論理哲学論考』により隠蔽された沈黙の持つこの倫理的次元、それは言葉を使用することが常に持つ倫理的次元である。『論理哲学論考』から『哲学探究』への移行に伴って、ウィトゲンシュタインが沈黙と言葉の持つこうした倫理的次元をはっきりと意識したことは確実だと思われる。(p128-129)