空也上人がいた (朝日新聞出版特別書き下ろし作品)

空也上人がいた (朝日新聞出版特別書き下ろし作品)

「風呂へね、入りたい」
 家に着いて、電動車椅子に移していると耳元でそういった。
「すぐ入れます」
「うん」
 吉崎さんの裸体は老いていた。予想以上だった。肋骨は浮き、腰に手術のあとが大きくあった。尻の肉はたれ、足は細くて骨のようだった。陰毛も白毛が多かった。
「入れてくれればいい。そして、出してくれればいい」といった。洗い場には肘と背もたれのある大きめの青いプラスチックの椅子があり、それに掛けてシャワーを使うのだった。
「あーあ」と浴槽の中で吉崎さんは溜息をついた。一度だけだった。そして、それにも抑制があることを、脱衣場で待ちながら私は感じた。雑巾のような身体になっても、そのような配慮があり、頭がしっかりしていることに無残な不自然を感じた。特養ホームの知力も一緒に衰えている老人の方がまだしも自然なことのようにさえ思えた。(p49−50)