コミュニタリアニズム」が多数決主義の別名、あるいは正とはある時代のあるコミュニティで主流をなす価値観に依存すべきものだという考え方の別名であるかぎり、私はそれを擁護しない。
ロールズ的なリベラリズムと、私が『リベラリズムと正義の限界』で提示している見解の争点は、正が重要かどうかではない。そうではなく、善き生について特定の考え方を前提とせずに正を規定し、正当化できるかどうかである。問題は、個人の主張とコミュニティの主張のどちらを重視すべきかではない。そうではなく、社会の基本構造を支配する正義の原理が、市民の抱く相容れない道徳・宗教上の信念に関して中立でありうるかということだ。言い換えれば、根本的な問題は、正は善に優先するかどうかである。(p372-373)