[rakuten:book:15570742:detail]

 昭和天皇が占領期、日米協調の重要性を認識し、米軍の日本駐留に対して前向きな考えを持っていたことも間違いない。一九五一年二月にダレスと会談した際、昭和天皇日米安保の構想について「衷心からの同意」を表明した。また一九五一年の安保条約の調印にあたり、昭和天皇は、マッカーサーの後任であるマシュー・B・リッジウェイ連合国最高司令官との会談で「日米安全保障条約の成立も日本の防衛上慶賀すべきことである」と述懐している。
 こうした昭和天皇の安全保障観は、反共意識と表裏一体であった。一九四九年から一九五〇年にかけてのマッカーサーとの会談で、天皇ソ連共産主義への警戒観露にしている。つまり昭和天皇は、米ソ冷戦の中で、対米協調、日米安保条約とそれに基づく在日米軍、沖縄の米軍基地によって、日本を共産主義の脅威から守ろうと考えていたのである。そして日米両政府関係者は、昭和天皇日米安保体制を支持していることを理解していた。史料的制約が大きく、昭和天皇が日米両政府の政策決定過程や日米交渉にどのような影響を与えたのかを具体的に論じることは難しい。だが日米安保体制は、日米両政府だけでなく、昭和天皇によっても支えられて出発したといえよう。(p28−29)