「労働が価値化される」というのは、賃金を支払われる労働(賃労働)のみが労働であると錯視させられるということである。だが、ひとが頭で考え、身体を動かすことすべてが労働だというヘーゲル的労働観に立つならば、賃金を支払われる労働は、ごく一部の労働にすぎない。いや、それどころかフロイトの「夢の労働」という概念を思えば、就寝中に夢を見ているときですら、われわれは活動(労働)しているのである。だが近代社会は、資本によって作り上げられた価値形式によって、こうした抽象的・人間労働のあり方を徹底して隠蔽してきた。(p99)